Life is Beautiful

私のいとおしい暮らし、ヨガやオーガニックのこと。絵を描くこと。

歪みが生じて

最近の私は本当に無理をしていたと思う。

 

実家に帰ってきて苦手な家族と過ごすことで

お互い拒絶しあい、

強い怒りとネガティブなエネルギーでぶつかり合うことで壊れて行った。

それを修復するように自分の心を無視して普通の型に自分を押し込めようとした。

 

16の頃から始まった摂食障害

親元を離れるまでそれは私をむしばみ続けた。

本当に死のうとした。

なんども死にたかったしどうにかしてもう人生を終えたかった。

 

社会人になって縁もゆかりもない田舎の土地で一人暮らしを始めた。

私にはその土地のエネルギーが非常にあっていて、

障害もあったりして体的にしんどいことはあったけれど

精神的には落ち着いていた。

 

食べたいものを食べ、

ヨガをして

本読み

料理をして

一人で静かな時間を持って

 

いつも神様に抱かれ

愛されている気分だった。

 

初めて人を好きになったし、

生まれてやっと少し解放されて幸せだった。

 

昨日あの頃の穏やかな日々を思い出して、

家族への愛も思い出して

久しぶりに泣いた。

 

無理をしすぎた、

また他人になろうとした。

過食が始まったし

何も愛せなくなった。

 

過去の幸せだった頃を思い出し、

もう一度そうなりたいと希望を持てた。

 

私は私。

きっと世界のどこかに私がたくさんいる。

 

まだうつくしい世界を愛して生きて生きたい。

描きはじめ

みなさん、あけましておめでとうございます。

といっても1月も半ばですが、、、😂

 

最近も心に体重がかかることが多くて

かなり疲弊していました。

 

また生きる気力ゲージが無くなったり。

周りの環境にはすごく恵まれ、

日々感謝と幸せを感じることもあるのですが、

家族だけがわたしはどうしてもどうしてもダメなのです。

 

なぜにこんなにも自然でいられないのか、

何も話せないのか。

家族といるときの自分が一番違和感があって苦手で、

そんな自分のぎこちなさが大嫌いなのです。

 

外にいるときの自分は自由で素直で伸びやかで楽しい。

悲しいことだなあと思うけれど。

 

話は変わりますが、今年の抱負。

「イラストで人の心をあたたかくしたい」です。

 

小さい頃から消して器用ではないくせに

手を動かし何かを作ることが好きで、

編み物、手芸、絵、お料理、お菓子作り、、、

たくさんのことをやってきました。

 

中でも絵、特に女の子を描くのが好きで

美術に入ってデッサンしてたり、絵本を作ったりしていました。

 

でも受験勉強で忙しくなってから全く描かなくなり、

社会人になってから本の装丁や雑誌のカットイラストにとても心が落ち着いて

わたしもまた描きた!という思いが湧き上がりました。

 

水彩色鉛筆で割と写実的なものを描きはじめ、

今はイラストを勉強中です。

 

自分の書いた絵が、

普段見る美しいものがインスピレーションソースになって

みんなに褒めてもらうのが

本当に本当に死ぬほど嬉しい。

 

わたしは家族に自分の好きなこと、やることは全否定されて育ってきたので

こんな風にいいねといってもらえて、

素敵だと喜んでもらえることがとてつもなく嬉しいのです。

生きててよかったと思える。

 

そんなわけで色々書いているので是非見てもらえたら、

なんて思います。

 

諦め

私は家族から孤立している。

 

ASDのことを理解してもらえなくて、

ずっと孤独。

 

親は自分のイライラをぶつけてくる。

私はうつ病も併発していて、

長い間苦しかった。

 

でもそれを親に受け入れてはもらえなかった。

母親はいつだって妹が可愛くて、

私のことを拒絶する。

 

そろそろそんな家族のことは諦めてしまわないといけないのに、

それが自分も幸せなはずなのに。

 

あなたたちが生んだのだから、

勝手に生んだのだから、

何かして欲しいわけではないけれどただ受け入れて、

私をいじめないようにだけ、

それだけ。

受け入れて、愛情がほしい。

以前書いたように

私は選ばれなかった子 - シンプルに整えて生きる

私は母親に見放されている。

というより憎しみをいつも感じ、妹への愛情との差別に苦しむ。

 

どうでもいい、

同居人と思うことに、家政婦だと思うことにしようと思ったこともある。

本当に酷い話だし悲しいけれどそうしないと自分の心は壊れてしまうと思ったからだ。

 

だけどやっぱり日々同じ空間で過ごしていく中で

その悲しみは肥大化して私をどうしようもなく蝕んでいく。

 

今はものすごく暗くどんよりした空気感の中に

孤独で死にそうになっている。

 

私が自閉症だとわかった時、

もちろん誰のせいでもないし、誰が悪いわけでもない。

 

でも母親には責任はなくても、それをきちんと受け入れ、

ありのままの私を受け入れる義務はあるんじゃないかと思った。

 

特別なことを望んでいるわけじゃない。

でも親だから、たった一人のお母さんだから、

ごめんね、大丈夫、それでも愛しているという

無償の愛が欲しかった。

 

母親というのはそういうものだと思っていた。

私がこんなに心を病んでしまったのは愛情が欠落しているせい?

 

お母さん、助けてという声はいつも腹の底に飲み込んで沈んでいく。

いや、素直にそれを求めることがあるけれどそれも拒絶されてしまう。

 

ぜんぶ、なにもかも

全て、何もかもがつまらない。

 

日常に見える全て、聞こえる音ぜんぶがつまらない。

色をなくしてイライラとさせるだけの景色に見えることがある。

 

無欲だから、なにを糧に、

生きるよりも辛い日々をどうやりそごせばいいのかわ帰らなくなる時がある。

 

ふと深く暗い、

もしかしたらもう這い上がってこれないんじゃないかというところに

来てしまう感覚。

 

これが恐ろしくて普段は見ないようにしてる、

パンドラの箱

 

人は決して傷つけない。

傷つけたくない、じゃあ自分は?

 

みんなこういう色彩を失った日々をどうやり過ごすのだろうか。

夢をみる

よく夢をみる。

いろんな夢。

 

幸せになるのはいつも誰かに愛されている夢。

愛が足りない、

そう思って生きてきたからだろうか。

本当の愛情をもらったことがない?

 

愛を感じる時、

私が愛する時、

崇める時、

祈る時。

そういう時私の心は落ち着く。

スーッと美しく浄化されていく。

 

生きているという確かな手触りがある。

人間が最も求めていることは愛し愛されること。

無償の愛をあげたい、欲しい。

 

それは決して他人から出なくてもいい。

自分で、自分を深く愛することができたら、

それが最良のみち。

 

It's Okay to Not Be Okay.

大丈夫じゃなくても大丈夫。

頑張りすぎず今の自分で十分。

生きてるだけで偉いよね、よくやってるよ。

最近よく聞くことば。

本屋さんに行ってもこんなタイトルの本がずらっと並んでる。

 

昔みたいにがむしゃらに頑張ろう!って時代から

頑張りすぎなくていい、ありのままの自分でという風潮になってきてるのは

私みたいな人間にとってはありがたい。

 

でもこれもまた難しい。

本来こうやって悩みを抱えてるような私たちは

そんな自分たちをありのまま

まるっと受け入れてふんわり包み込むのは至難の技なのだ。

 

今日も父に「お前は出家しろ」と言われた。

なぜ私は黙って日々を淡々と過ごしているだけなのに、

私からは何も父に対してアクションを取っていないのにこんなことを言われるのだろう。

 

ASDであることをどんなに説明しても理解してもらえず、

親から愛情をもらえず、

そんな人たちと平気で関われるほど私は強くない。

もっと、脆いのだ。いまにも壊れてしまいそうに。

 

ちなみにタイトルは韓国ドラマの「サイコでも大丈夫」の英題。

ドラマには反社会的、とされるキャラクターがたくさん出てくる。

これも物語の中だからハイライト的にいいようになって

現実は当たり前だけれどこんなにうまくいかないし、

泥臭く周りから拒絶される日々を送ってるんだよな、

こんな綺麗事じゃないんだよなって思いながら

また今日も物語の中に浸って現実逃避の旅に出る。

 

こうやって落ち込みながらも自分を鼓舞したり

逃げたり、ほとんど闇の中でも少し光があるかもという妄想の中で

生きてくしかない。